母校の歴史
明治 35 年(1902 年)4 月 1 日 | 北海道庁立札幌高等女学校創立 |
明治 35 年(1902 年)5 月 20 日 | 第 1 回入学式(1 年 100 名、2、3 年各 50 名、計 200 名) ※以来、この日を開校記念日と定める |
明治 44 年(1911 年)8 月 26 日 | 皇太子殿下(後の大正天皇)御臨啓、授業をご覧になる。 |
明治 45 年(1912 年)5 月 20 日 | 校歌「学びの窓」(吉丸一昌作詞、岡野貞一作曲)披露 (創立 10 周年式典) |
昭和 10 年(1935 年)5 月 10 日 | 校章制定「雪中の梅花」 |
昭和 23 年(1948 年)4 月 1 日 | 新学制実施により北海道立札幌女子高等学校へ転換 |
昭和 25 年(1950 年)4 月 1 日 | 北海道札幌北高等学校と改称し、男女共学となる |
昭和 25 年(1950 年)7 月 1 日 | 校章制定「北国の雪」(生徒からの公募) |
昭和 26 年(1951 年)1 月 15 日 | 校歌制定(大木惇夫作詞、信時潔作曲) |
昭和 28 年(1953 年)5 月 1 日 | 定時制課程設置 |
昭和 29 年(1954 年)5 月 24 日 | 新校舎竣工(現在地へ) |
昭和 51 年(1976 年) | 学校祭行灯市内行進開始 |
昭和 52 年(1977 年) | ほのぼの行事開始 |
平成元年(1989 年)11 月 1 日 | ノーベル賞受賞者(クロード・シモン氏、アンドレイ・サハロフ博士)を迎え、キャンパスフォーラム開催 |
平成 4 年(1992 年)3 月 9 日 | 校旗制定、推戴式 |
平成 4 年(1992 年)3 月 9 日 | 校旗制定、推戴式 |
平成 9 年(1997 年) | 65 分・5 時間授業開始 |
平成 14 年(2002 年)4 月 10 日 | スーパーサイエンスハイスクール指定(14~16 年度の 3 ヶ年) |
平成 14 年(2002 年)10 月 4 日 | 開校 100 周年記念式典挙行 |
平成 18 年(2006 年)9 月 29 日 | 新校舎・百周年記念館落成記念式式典及び記念講演会を開催 |
平成 28 年(2016 年)10 月 27 日 | アクティブ・ラーニング実践研究拠点校指定 |
平成 29 年(2017 年)1 月 7 日 | 海外短期研修(アメリカ合衆国・ボストン ~1/15)開始 |
令和 2 年(2020 年)4 月 | 教育課程研究指定校事業(総合的な探究の時間)研究指定 |
令和 2 年(2020 年)8 月 21 日 | 学びの質を高める ICT 活用パートナーシップ事業モデル校指定 |
令和 4 年(2022 年)10 月 7 日 | 開校 120 周年記念式典挙行 |
学校行事
行灯行列について
昭和 50 年(1975 年)の第 26 回学校祭からそれまでの仮装行列に代わり行灯行列が行われ、翌 51 年(1976 年)より市内行進が始まりました。「全校行事(クラス対抗のステージ発表)」、「学級プロジェクト(クラス展示・一般公開)」と並ぶ北高祭の 3 大イベントの一つです。
6 月の前期中間考査終了後から準備が本格的に始まります。専用のテントを建てて雨風から守りながら、色彩豊かで大迫力、見る人を魅了する行灯を作るため、生徒たちは 1 ヶ月間全力で取り組みます。全クラスの中から最も優れた行灯に贈られる「行灯大賞」をはじめ、旭川七夕烈火祭りに出品する烈火賞、学年毎の金賞、銀賞、同窓会賞が用意されています。
ほのぼの行事について
旧制女学校として発足した北高では、3 月に伝統行事の「ひなまつり」が行われており、現在も続いています。これに対し、5 月に男子用の行事がないのは寂しいということで、昭和 50 年(1975 年)に同窓会から鯉のぼりが、昭和 52 年(1977 年)3 月の卒業生からは掲揚ポールがそれぞれ寄贈され、それを掲げた下で、「青空を泳ぐ鯉のぼりの下で楽しめる(勝敗にあまりこだわらない)行事を行おう」ということになり、「ほのぼの行事」が始まりました。現在は、平成 4 年(1992年)に新調された二代目の鯉のぼり 3 匹が校庭の掲揚ポールに掲げられ、端午の節句に合わせて勇姿を見せます。当初は前庭を会場とした腕相撲大会でしたが、昭和 62 年(1987 年)に 1 年生 2 名が骨折したことをきっかけに、体育館で行うクラス対抗男女混合綱引き大会となりました。実際は「ほのぼの」とはほど遠く、毎試合かなり白熱します。賞品として「いちご大福」が優勝クラスの全員に当たります。
校歌
庁立札幌高等女学校校歌「学びの窓」
札幌北高校・校歌について
新制「札幌北高校」となり、男女共学実施の精神にふさわしい校歌を制定することになりました。生徒、教員から公募しましたが、「決定作なし」(60 周年記念誌より)となったため、作詞を著名な詩人に依頼することになったようです。当初、詩集「道程」の作者、高村光太郎氏に依頼しましたが、「音楽にあはせる歌詞を書かぬ事にして居ります」とお断りする旨の葉書(本校に保管されています)が学校に届き、校歌の作詞者として人気の高かった詩人の大木惇夫(おおきあつお)氏(「大地讃頌」の作詞者)に改めて依頼することになりました。作曲は、東京藝術大学教授の作曲家、信時潔(のぶとききよし)氏(「海行かば」の作曲で知られる)にお願いし、正式に制定されました。